初代理事長 貝原 芳子
この度、多くの方々のご協力とご助力を項き、財団法人貝原守一医学振興財団が無事に設立発足できましたことは、私どもにとりましてこの上なく有難いことでございまして、心より御礼申し上げます。
財団設立を思い立ち準備を始めましてより約4年、この間、幸いにも立派なご賛同の方々を得て仕事を進めることが出来、また県庁の関係の方々の温かいご指導を項き、今日を迎え得ましたことを深く感謝いたしております。
かえりみますと、太平洋戦争の末期、昭和19年12月、当時九州帝国大学医学部細菌学教室に奉職しておりました夫、貝原守一は、南方ジャワの研究所へ赴任の途次、マニラ上空で飛行機の襲撃を受け、33歳でこの世を去ったのでございます。
爾来40数年、私は志半ばで世を去りました故人の遺志をつぎ、医学、医療の道を通して社会に貢献させていただくことが、私に課せられた務めだと考えてまいりました。家族とも相談しまして、医学、医療界に対しささやかながら財政面での援助をさせていただくことにより、いくらかでもこの務めの果たせることを希い、財団設立を決めたのでございます。
なお、財団設立財源の殆どを、亡き舅、貝原収蔵(分家二代目)が戦後の困窮の時を護ってくれました資産の処分によることを附記させていただきます。
本財団は、医学生に対しての奨学金の支給、医科系の研究者を対象とした研究奨勒金の補助をはじめ、医学、医療の振興発展に寄与できる事業を考えています。これらの事業を通して社会に貢献でき、また次世代を担う若い方々の人間形成にも役立つことが出来ますれば、この上ない幸いと思っております。
物質文明を主とした20世紀はまもなく終り、やがて、新世紀を迎えるのでございますが、新しい世紀は「こころ」を主体とした文明の時代、また、自然の摂理を守り地球上に生きるすべてのものの「いのち」を尊び、すべてのものとの協調共存の道を考え図ってゆかねばならない時代だといわれております。「いのち」の尊さを強く認識し責任を負わねばならない者は、医の道に携わる人々であると申せましょう。新しい医学の振興、医道の高揚が、人々に真の幸福をもたらし、新しい世紀に大きな貢献をすることを信じております。生命あるすべてのものに対し深い愛情をそそいだアルベルト・シュバイツアーの哲理「生命への畏敬」を、私たち財団の理念ともいたしたく思っております。
財団の発足にあたりまして私たち関係者一同、意を新に一致協力して財団の目的を立派に果してゆくよう努力いたす覚悟でございます。
どうか皆様におかれましても、本財団の目的をご理解下さいまして、一層のご指導とご助力を腸りますよう心より御願い申し上げ、私のご挨拶といたします。